井口葉子 [清夜会]


アクロス展は、観ると楽しい。額もあれば軸もあり、アクリルボックスもある。和綴じの子どもの書も加わった。会場に動きがあるのである。普段目にすることのない書の形がある。よく目にする文字、耳にする言葉がときどき意外な形で現れ、観ている者を驚かす。油断していると見過ごしてしまいそうな作為がところどころに仕掛けられている。脳に刺激を与える展覧会である。さらに、色彩を押さえて創られた会場には、日本固有の侘び・さび文化を伝えてきた茶と華が和の雰囲気を醸し出す。そこに、静と動の混在を感じるのは私だけあろうか。あえて、「調和」ではなく「混在」という言葉を使いたい。なぜなら、それぞれの作品のエネルギーは観る人によって静であったり動であったりするからである。だから、楽しいと私は思う。
 アクロス展は、作品を作るとなると苦しい。何を書いてもいいという大らかさは実は罠である。今回のテーマは「一瞬」。一瞬という言葉は、その意味や文字を知っていて当然ではあるが日常生活ではそう頻繁に使う言葉ではない。それを今回、自己表現というフィルターで通すとき、自分の中に迷いが生まれた。その言葉を私は知っているのか。私は一瞬をどのように経験してきたのか。毎回アクロス展では言葉とどう向き合うのかと突きつけられる。
 「一瞬」展で多くの作品の中に身を置いたとき、それぞれの作品に費やされた時間を感じる。作品作りにおいて一文字一文字にかけた想い、かけた時間はそれこそ一瞬である。しかし、その一瞬の連なりが目の前にある作品となっていることは、観ている人の全てが感じることであろう。そんな多くの作品に混じった己の作品を観て思う。「一瞬」展の求めるものがここにあるのだと・・・。だから思う。アクロス展は苦しいと。
 ところで、筆で文字を書くことが生活の一部であったのはとうの昔である。その楽しさや、ちょっとした緊張感は、簡単に文章を訂正できるパソコンが生活や仕事の常態となっている今の生活には無縁のものとなってしまった。だからこそ、書に親しみたいという欲求がある。アクロス展は、自由に文字を選べる。臨書や規定課題とは違った世界が広がる。筆を持ちいつもよりさらに形に拘らずおもいつくままの文字をたっぷりの墨で書く面白さはアクロス展ならではである。「好きに書いていい」という甘い言葉が実は厳しさへの入り口だと分かっていても、止められない理由がここにある。
 私にとってアクロス展は、書芸院の門を叩くきっかけになった展覧会である。様々な想いが込められた作品と出会える機会であり自分を客観的に見せつけられる唯一の機会でもある。さて、次回はどんな物語が繰り広げられるか楽しみである。

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