何とあわただしいことか、食事もゆっくり出来ず、ゆったりと作品鑑賞も出来ずにバスに乗り込む。これでイサムノグチの美術館がたいしたことなかったら、どうしよう・・・。気にかかることがある。美術館を見て来た人に印象を聞くと、表情を変えずにどちらかといえば無愛想に「行ってみたら解かりますよ」といわれてしまった。ええ、大丈夫かなと思った。

イサムノグチ庭園美術館

             

そしてバスは屋島を眺めながら、五剣山の麓の牟礼町に着く。ぴったり3時である。ところがバスの様子がおかしい、止まって動かないのである。どうも通り過ぎてしまったらしい。携帯で場所を聞きながらUターン。牟礼というバス停を探しながらゆっくり移動。あっ、ここにあった。だが美術館らしい看板はどこにも見当たらない。ガイドさんが探しに行く。やっと見つかりバスを降りる。ガイドさんの後について町並みの路地を歩いて行くと電柱に小さく「イサムノグチ庭園美術館」の看板。これじゃ解からない。そしてそれらしきところへたどり着く。大きな伽藍とした建物があり和紙の灯りやグッツが並べられている。外には大きな石を無造作に置いていて、まさかこれだけではなかろうと思ったが、不安がよぎる。そう写真集では木造のアトリエがあったはずだ。

担当の方が案内をしてくれる。石を土塁のように積み重ねた塀の中に、アトリエと石の彫刻が並んでいる。抽象的な石の形からは確かな意味は伝わらない。見る者が感じるしかない。だから勝手に感じていいのだが、それだけでは頼りない、何か手がかりが欲しい。だが会場には、何の説明もされていない。みんな戸惑いの中を彷徨っている。そして酒蔵を移築したというアトリエの中に入って、みんなの思いが一致した。「わあすごいなんて大きいんだろう」建物が立派である。巨大な梁が通り藁の入った黒っぽい土壁、伝統の重みである。象徴的な円や抽象的な造形の塊が伝統に挑みかかっている。その重さを跳ね返し、個人が受けて立っている。飲み込まれず離反せず対峙している。しかし、ここにある伝統は揺るがない。写真で見た時は、建物が強くて彫刻が浮いているように感じたが、「エナジーボイド」を目の当たりにすると、イサムノグチの存在も立派だった。豪商の家を移築した住まいもよかったし、スケール大きな庭にも感心させられた。人間のスケールの大きさがさまざまなところに溢れていた。写真撮影が禁じられており、写真はわずか。

しかしここでも、フェリーに間に合うようにとあわただしくバスへ向かう。