2001・12・31 中川さんの農園も色々なことがあったのだが、私のほうに余裕がなく何も紹介することが出来なかった。 ところが今年最後の卵を買いに行ったら、面白い話を聞かせてくれた。正月の元旦から和歌山へ風力発電の装置を安くもらいに行くということだった。水車小屋を完成させて水力発電で電気を作るつもりだったのが、様々な事情で見込めなくなったからという事だった。 中川さんは3週間くらい前に、右手の小指を竹を突き通すという大怪我をして、思うように力仕事が出来ないそうで、風車を作るときには手伝ってくれと頼まれた。風車を作るという経験などとても出来るものではないので、願ってでもやりたいところだった。 話をきくと、風車を持ってきてもいつ完成するかわからない。しばらくは雨ざらしになるんじゃないかという事だったので、それなら「風車プロジェクト」を作って、若い連中を集めて風車の研究がてら早めに完成させましょう、という話をして帰ってきた。 「風車プロジェクト」を作るので興味のある人は連絡して欲しい。 2000・11・6 農園に着くと食事中のアオが挨拶に寄ってくる。頭を撫でていると小屋の中から中川さんの声がした。変圧器が壊れたんですよ。水をやらなゃいかんし、変圧器は買いに行ってもすぐなかかもしれんとですよ。珍しく興奮した様子。何のことか解からなかったが、慣れない奥さんに仕事を頼んでいたら、バッテリーにつなぐとき+と−を間違えてショートしてしまったらしい。それで変圧器が壊れて、ポンプのモ−ター動かせないらしい。鶏に水をやるのにどうしようかということだ。私は卵をもらってさっさと帰ってきたが、さて鶏舎はどうなったことやら。・・・ 2000・8・28 中川さんの新しい鶏舎に卵を取りに行った。寸時舎から歩いて10分くらい、途中尺取虫のような虫が沢山道を横切っていた。道端の草木にいっぱいの虫がいて丸裸になっていた。農園に着くと柵が閉じていて留守のようだ。アオが草を食んでいる。私を見つけるととことこと寄ってくる。動物は余り好きでないのに、親しげに声をかたて髪や背中を撫でてやる。私が偽善者であることをアオは見抜いているかもしれない。ちょっとかまっただけで、卵の置いてある小屋へと歩いていく。すると駆け足で追いかけてくる、偽善者でもいいからかまってもらいたいんだろう。 鶏舎には大きな榎の木がある。そこへ遊君が秘密基地を作りたいということで、中川さんが手伝って、木の上に小屋らしきのもが出来ていた。この前のコーヒー屋さんの時に聞いた話だが、遊君が作業中に落ちてしまって、怪我はなかったが戦意喪失して基地作りは小休止らしい。まだ遊べるだけの広さはないようだ。 前の文章を読んでいて思い出したが、アオの妊娠は間違いだったようで、産み月はとっくに過ぎているがまだ生まれていない。 2000・6・14 中川さんは6月中に鶏舎を取り壊して、土地を元のさら地にしてしまわなければならない。そしてもう一つ、種蒔き式の稲作りのため3日前に泥団子を作って田に蒔いたそうである。その時の天気予報では雨が降るということだった。ところが2日間雨が降らない。そんな時のためにパイプで水を引くつもりで、月曜の夜までには間に合うという話で注文ていたパイプが今日(水曜)の夜届くらしい。つまり中川さんはピンチである。とても忙しい。今日の夕食後、パイプを田んぼに引く作業をするとのこと。 発芽し易いように3日間水に漬けておいた種は、すぐに水をあげないとだめになってしまうらしい。今回は多分だめ。だめだったら今度は筋蒔きにせず、ばら蒔きをやってみるという話を聞かせてもらった。水が間に合えばいいのだが。 2000・6・5 一年ぶりのこのコーナーである。中川さんが仕事をしていなかったというわけではなく、私が何かと忙しくて取材していなかっただけである。中川さんは急な話で鶏舎を立ち退くことになり、急拵えの鶏舎に鶏を移したところである。寸時舎に随分近くなった。歩いて10分位だろうか。とりあえず挨拶代わりの撮影会。アオのおなかの中には赤ちゃん馬が入っているそうで、もうそろそろ生まれんといかんのに、ということらしい。 ’99・6・20 基山にしっかりと腰をすえて、農耕人になるための寸時舎であったが、それがいつのことやらまだ何も始まっていない。気休めの可否を点てている。アオに乗った農耕人の中川さんを写真に取りこんでみた。可否店の帰りの後ろ姿は都会人にとっては眩しい光景である。大地に根を張ってこその自然との共生といえよう。田舎を気休めの憩いの場所にしてしまうのは問題がある。しかし都会はもっと大きな問題を抱えている。安らぎの場所、あるいは癒しの場所が必要な人達で溢れている。 寸時舎帰りの中川さん ’99・5・27 中川さんのところには、野生の対馬馬がいる。アオという名前がついている。対馬馬は大きくならない馬で、ポニー くらいの大きさである。馬がいるということは、何かとてつもないものを感じるもので、すごいなあという感じでいつも見ている。教室の子供達も馬に乗せてもらって、大喜びである。女の子の未来ちゃんは遠くの方からこわごわと眺めていた。山や畑や馬や木々と触れ合う暮らしというものは、子供達を教育する必要のないほど、美事に教育的である。中川さんの暮らし振りを見ていると、社会や学校というのもが、どんなにか無駄なものを強要し、生活を圧迫しているのかを考えさせられる。それでも中川さんはのんきに悠々としたもんである。アオも幸せならみんなも幸せな中川農園。 教室の子とアオと ’99・5・25 以前、中川さんのところで興味深い話を聞いた。鶏舎にある一定以上の鶏を入れると、一匹の鶏のお尻をみんなで死ぬまで突つくそうである。それでお尻に鉄板を当てて防ごうとしたり、様々な試みをした結果二つの結論がでたそうである。一つはそれぞれを箱に入れる、もう一つは広い空間を与えるということである。教育の現場、私たちの社会、私たちの心の中、どこも狭い窮屈な中で責めぎあっている。心の中に何もないぽっかりあいた隙間があればいい。 ’99・5・17 |