part2 寸時舎にて
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1994・6月 一休み
盛んな緑は寸時舎の空を覆っている。白いえごの花もいつの間にか散ってしまった。雑草も元気いっぱいで、緑の勢いに圧倒される。木陰に椅子を持ってきて腰を下ろしても、どうもくつろげない。一寸座っては、またせかせかと動いてしまう。エネルギーが溢れているという感じだ。
これが寸時舎の今の姿である。一寸目には完成したように見えるのが嬉しい。西の壁の一部を除いて、すべて壁を張り終えた。何度見ても見飽くことなく写真を眺めている。完成までもう一息だ。
今は窓と窓枠の作業にかかっている。窓の材木は細い角材なので、教室に持ち込んで作っている。教室だと手のすいている時にチョコチョコとやれるので随分と作業がはかどる。全部で15枚作らなければならないが、6枚はできあがった。この分だと6月中に窓を入れることができそうだ。しかし、建具の仕事は大工仕事と違って精密さがより要求される。私には細かい仕事はどうも向いていないようだ。ミスの連続である。計算ミスや思い違い、直角を取らずにボンドで固定してしまったりと、限がない。とにかく苦手だ。もっと注意してやらないと仕事がどんどん増えていく。それでもカンナかけは面白い。シュッシュッと気持ちのいい音を立てて削れていく。削った後を手で触ると、スルッとしていて、できたっという実感がする。
山では窓枠の方を作っている。こちらの方も半分近くできあがった。やはり寸法間違いをして手間取っている。こんな調子でよくここまで来れたもんだと思っている。あと残っている作業は、内装と床板張り、そして玄関とトイレのドア、塗装。これで一応完成となる.バルコニーは水糸を張って水平を出し、基礎を少し固めなくてはならないし、また大変なのでボチボチ気長にやろうと思っている。楽しみは長い方がいいから。
1994・7月 流れ
6月24日。近所のガラス屋さんに頼んでいた窓の建具が届いた。ゆがみや捩れがあったのでガラスがちゃんと入るか心配だったが、無事出来あがっていた。聞くとあちこち溝を削り直したそである。しかし、自画自讃のうれしい日であった。
26日。この日は会員の皆さんと秋月へ紙漉きの見学。以前会った時より見違えるようにさっぱりと若返っている紙漉きのおじさんに、驚いてしまった。見学の後、葛屋さんや骨董屋、イモ饅頭などを買いながら、暑い中をぶらぶら歩き、ラムネなどを飲んでのんびり汗をかいた。秋月美術館にはルノアールのサムホールの裸婦、ピカソのエッチング、熊谷守一の水墨、いつ来てもこんなところにという感じで目立っている。
27日。月曜日はいつも基山の中川さんのところに寄って卵を買ってくる。今日は行きに寄ってみた。留守だったので、用意してある卵をもらって、1500円と淡遠を箱の中に入れてきた。それから寸時舎へ行ったが、じとじとと蒸し暑く、まったくやる気ががしなかったのでカンナ屑を焼いただけで早々に帰ってきた。
29日は「書を考える会」の第1回目の会合がある。オブザーバーという形で参加させてもらおうと思っている。どのようなことになるのか楽しみだ。グループ展や個展をどんどんやってもらいたいと思っているので、こうした自主的な会合が盛り上がっていけば、面白い事になるだろうと期待している。
30日は月兎さんが手伝うといってくれている。切り込みのできている窓枠を取り付けてみようかと思っている。それで28日は窓枠にクレオソートを塗らなければならない。
やらされるのは、何をしてもつまらない。それにしても、やらされることの何と多いことか。へたをすると、やらされることだけで一生がすんでしまうのではなかろうか。我が家の子供達を見ていて、つくづくと思う。せめて家ではしたいことをさせたいと思うのだが、「たまには宿題休んだら」といっても、それもまたいやなようである。自然との交わりも極端に少なくなっている。遊びもテレビなどの人工的なのもが多い。山や川で遊び回った自分は、幸運だったんだと思えてくる。寸時舎も子供達の遊びながらの学びの場にできればと思っている。今の学校は、将来のためということばかりで、子供であるのはその時しかないという、その時を逃してしまっている。今その時にすべての自分を生かしきることを、生かしながら学ぶことが大切だと思っている。
「巨人の星」の星飛馬は大リーガー養成ギブスをはめられて、大投手になっていった。この過程を日本人の多くが拍手を贈りながら見ていた。私もその一人であるが、英才教育、それは何と人間性を無視した教育であろうか。たとえその世界で成功したところで、それが何だというのだろう。人間として不完全のまま、ある技術だけが突出する事が、そんなに素晴らしいことなのであろうか。知識ばかりを最優先の学校も知識英才教育といえよう。ついていけない子には容赦がない。今の社会で起こっている様々な悲惨な出来事も、これらの教育の当然の結果であるといえよう。人生を人よりもよい人生をという余りにも卑小なものを、最良なものと思い込ませてしまうようなことが、世界に、国に、町に、家庭に、一人一人の心の中に溢れているのではなかろうか。それがあらゆる混乱を生み出している。
このような仮死状態の混沌とした社会の流れに、それでも流されまいと一心に頑張っている。だが、流れからはずれると、自分が何をしていたのか見えてくる。そして、これが世の中これが現実だといっていたものより、もっと悲惨な世の中の、もっとさし迫った現実が見えてくる。その現実から逃避せずに、しっかりと向き合い、そして自分のやりたい事を真剣にやることが、真に生きるということではないだろうか。
1994・9月 旱天
なぜだか解らないが、寸時舎の木々や草の葉が粉を撒いたようにしろい小さな点々で覆われている。虫がついているのかと思ったがそうではないようだ。雨が降らないせいだろうが、何となく荒廃したようで不気味だ。しかし町中の草や木が息もたえだえなのに比べればまだ元気はいい。そろそろ草刈もせないあかんなあと思っている。何せこの暑さ、何をするにも汗だくで、汗をかく喜びもとっくに通りすぎてしまった。
7月31日に川内さん、8月1日には中川さんに手伝ってもらって、窓枠の取り付けを終えた。そして今は窓を取り付けている。枠に収まるように削ったり、蝶番をつけたりしている。そして早速失敗してしまった。蝶番を反対側に取り付けてしまった。それでやり直したのだが、ピッタリと収まるように蝶番の大きさだけ削っていたので、薄板を当てて補修するのに手間取ってしまった。結局その時は時間切れで、窓を取り付けることはできなかった。10時半から4時半までいて、せっせと動き回って一つの窓が入らなかった。思ったよりも窓入れも時間がかかりそうだ。
そして次の日、午前の指導を終えて寸時舎へ。途中になってしまった窓入れの作業にかかる。一人で窓を取り付けるのはなかなか大変だ。窓をささえながら蝶番を止めなければならない。それで安定させる為に蝶番のネジ穴の大きなくぎを打って仮止めをしたら、楽に作業をすることができた。一つ目の窓を取り付けて、それを閉めてみると、どこの加減か少し浮いていて自然にピッタリと収まらない。それでもギュッと引張るとどうにか収まるので、まあいいかということにした。二つ目の窓に取りかかる。こちらはすんなりと収まった。観音開きの窓がこれで一つ仕上がった。出来映えはどうだろうと外から眺めてみると、やっぱり素人だ。右と左の高さが5oばかり違っていた。みっともないが仕方ない。これで一歩完成に近づいた。この日は12時から3時半までかかった。あと五つの窓枠に窓を入れなければならない。盆のうちに大分とりつけられるだろうと思っている。
この旱々照り、そして空の青さの美しさどうしたことだろうか。人智の及ばぬ自然の働き、やはり人は自然の手の中でうごめく存在でしかないのだ。向井さんは宇宙での生活の可能性を求めてロケットに乗り込んだ。人間の夢とロマンを求めて危険な仕事に立ち向かったという。興味のあるニュースではなかったので、詳しいことは何も知らないが、外から丸い地球を見てどんなことを感じたのだろうか。地球が住めなくなったら空に浮かんで暮らせばいいと思ったであろうか。ところで地球はいつまで青いのだろうか。日々砂漠と化して行く大地が、地球を覆ってしまうことも考えられる。地球が緑の豊かな大地になるまでの時の流れに比べると、人類はあっという間に砂漠の大地に変えてしまう事だろう。このスケールの話をしていると、人一人の力の空しさを痛感する。たった一人で何ができるのか、と。しかし誰もが緑は大切だ大切だといいながら、でもどうしようもないと動かなければ、人類はすでに滅んだも同然だろう。一人の力ほど大きいものはない。豊かな緑を愛して一人でも動いていれば緑の大地は保たれていく。
中川さんは木が大好きで、それも特に雑木の豊かさ美しさに惹かれている一人だ。山から実生の苗を見つけてきては畑に植えて育てている10cmの苗が一年でまた10cm伸びたと、目を細めて語ってくれる。「胡桃の木はすごく成長が早いんですよ」と、胡桃の木を指しながら教えてくれた。「あれは三年前に30cmくらいの木を植えたんですよ」と指された方を見ると、何とプレハブの屋根よりもずっと高くなっている。4mくらいはあるだろう。中川さんは雑木山が杉や桧の山に変わってしまったことを嘆きながら、「自分の山の土地を雑木で一杯にしたい」と語ってくれた。私も雑木は好きだけど今は何となく食べ物の方に目が向いているので、「桃やら柿やら果物のなる木を沢山植えたいですね」というと、「雑木の中にそんな木が混じるほうがいいですよ」といわれてしまった。
寸時舎も今は200坪の広さしかないので、木を植えるよちもないが、そのうちどうにか、荒れた土地を手に入れて、雑木と果物と野菜の林を作ってみたいと思っている。
1994・10月 ヤマガラの秋
コツコツコツ。えごの木を盛んにつついている。今年の秋はあのお洒落なヤマガラの、木をつつく音から始まった。果てしなく続くように思われた異様な暑い風が、その日は心地よい涼しい風に変わっていた。それからはヤマガラがいつもえごの木に遊びに来る。枝から枝へ飛び回り木をつつき、実をついばんでまた木をつつき、ジェイジェイと鳴きながら遊んでいる。仕事の手を休めながら見ていると、なんだかのどかな気分になっていく。ヤマガラと友達になりたいと、ふと思う。秋といえば山に来だして5年目にして初めて栗の実を手に入れた。寸時舎には5、6本の栗に木があって、毎年青いイガイガの実を着けているのは見ていたのだが、取ってやろうと思っているうちに何時の間にか消えてしまっていた。しかし今年は、大きなとはとはいえないが、光沢のよい栗色の実をポケット一杯に収穫することができた。
寸時舎も窓を取り付け、明り取りのため外壁を張らずにいた西の壁にも板を張った。あと玄関とトイレのドアを取り付けると外観は完成である。やはり外壁を張ってしまうと室内が随分と暗くなった。風通しも悪いし、光も差さない、さてどうなることやら。しかし、完成して生活を始めると、窓の少ない利点も見つかるかも知れないし、それでもダメなら我慢するとしよう。元々山での快適な暮らしを夢見て山小屋を作ろうと思ったのではない。雨宿りできる場所が欲しかったから作り始めたのだった。
今日(10月2日)もせっせとカンナをかけて来た。あんなに難かしかったカンナかけも、窓の建具を作ったことで、随分と上達した。ロフトの床板を削った。3cmの厚みのある20cm巾の杉板を張るのだが、その板が少し反ったりしてカンナをかけるのに骨が折れた。へこみの強いところはカンナの刃が届かないので、サンドペーパーで削ることにした。今にして思えば、最初に柱のカンナをかけた時は、刃を出し過ぎていたのだ。ゆがみのある表面を一気に削ってしまうようなことをしてしまったから、削れなかったのだと思う。簡単なことが最初は解らない。しかし、それでヤリガンナを使えたのだから何がいいのか解らない。もしその時カンナがどうにか使えていたら、ヤリガンナはただの飾り物で終わっていたかもしれない。
今では家を建てるのに機械が大部分をやってしまい、大工さんは組み立てるだけという仕事も多いそうだ。時間のかかる手仕事が社会から消えていく。本当の大工さんがいなくなるのもそう遠いことでもないような気がする。面白い話というか哀しい話というか、ノミやカンナ使える大工さんより、コンクリートの型枠を作る大工さんのほうが日当は高いということである。技術料は無しということか。
私は寸時舎を作るのに、手仕事にこだわって、電気の力をできるだけ借りないようにしてきた。これが一番無駄のないやり方だと思うからである。エネルギーを作るための原子力発電など、今まで数多くの事故や未解決の核処理の問題などがあるにもかかわらず、なぜ停止できないのか理解に苦しむのである。ここで社会問題を提起するつもりはないが、自分の生活の中から原子力を取り除くことができないかと思っている。その一つの試みとして、電気を使わないで家を作ってみたのである。そして、寸時舎に電気を引かないのもそのためである。電気がないと生活は不便であるが、できるだけきれいなエネルギーを作り出す工夫をしながら、無駄のない生き方を考えたいと思っている。
1994・11月 大詰
隣の土地は竹薮でボウボウだった。そこの竹を地主さんが払い始めた。竹しか見えなかったところの地形が現れてきた。元は段々畑と聞いていたが、なるほど段々がついている。大きな柿の木も姿をはっきりと現し、孟宗竹の小さな林も美しい竹の姿を見せている。目の前の風景が一変してしまった。小屋の中で作業していると、切り開かれたあたりで何か音がする。人がいるような音がする。何だろうと思って見てみるが誰もいない。しかし、ゴソゴソと音はする。柿の木を見ると黒いものがいる。アッ猿かもしれないと、じっと見ていると、羽音を立てて悠々とカラスが飛んでいった。柿の実を食べていたのだ。今まで柿の実を見たことがなかったので実はならないとばかり思っていた。先のとがった大振り柿である。甘柿かなと期待しながらカラスが落とした柿をかじってみると、しっかりと渋かった。
ロフトの床を張り終えた。一階の天井に当たる方には透明のオイルステインを塗った。少し茶色っぽくなった。床の方にはクレオソートを塗ろうかと思っている。天井を張ってまた重みが増してきた。なかなかいい。トイレのドアも取り付けた。ドアの板は外壁と同じように目板張りにした。ドアノブは鉄で作るつもりだったが。丸い輪っかのついた面白い金具を見つけたので、それをつけてみた。ウーン悪くない。一つ誤算だったのは、トイレの窓が小さすぎたということだ。ドアを閉めると中が少々暗くなってしまった。
もう一つ、ロフトへのはしごも作った。21cm巾で5cmの厚みを利用し、そこに5cm角の長さ20cmの角材を切り込みを入れてはめ込み、くぎを打って止めただけの簡単なものにした。初めは足掛けの長さを40cmくらいにしていたが、膝がひっかかって登りにくかったので、短く切ってしまった。見かけはさっぱりしすぎのようだが、登りやすいのでこれでよしとした。
こんな調子で寸時舎は完成へと着々と進んでいる。手作りで気持ちがこもっているというだけでなく、思い描いた美しい形のものができ上がろうとしているのを見て、ただただうれしいのだ。ペンを持つと嬉しさの一つ一つをしっかりとかみしめたくなってくる。まずその一つ、堂々と家らしいものがそこに立っているということ。それから沢山の人から手伝ってもらえたということ。習わなくても、建てようという気持ちがあれば家は建つということ。やれることからやっていると、やることで技術が身につき、思った以上のことがやれるようになること。一人でやるのは手間取って大変だが、一人はなかなかいいもんだということなど、など。そしてテーマである創造性という言葉、今だにボンヤリとしているが、作る作らないの問題ではなく、気持ちの問題であることだけは、はっきりしてきた。創造性と感受性は密接な関係があり、感受性のない人にとっては創造性は無縁のものとなってしまう。たぶん葛藤の繰り返しであろう、同じ毎日の中で、これが人生なのだと納得してしまうのではなかろうか。何かを創ること、書とか家とか、食べ物とか、そういうものも含まれるけど、もっと何か大きなスケールのものと結ばれていく創造性が目の前に広がっている。形として目の前に取りだすことはできないが、熱い想いがフツフツとたぎっている。これは欲望かもしれない。自己満足の幻想かもしれない。それは生ずるものが何であるかによって証明されるであろう。そこに単なる毎日の繰り返しが再生されるなっらば、単なる欲望の生み出したエネルギーだったのであろう。もし新鮮な毎日を感じることができたなら、その時は創造性の手応えをはっきりとつかみとることであろう。
1994・12月 年越し
もう年が明けてしまって1995年になった。年内に出来上がるかもしれないと思っていたが、やっぱり無理だった。
しかし、今は1994年で内壁の板を張っているところだ。あと少しで板壁は張り終える。そうすると塗装を残すだけとなる。板壁を張っていくと徐々に軸組や胴縁の構造材消えてゆき、スッキリとした板壁の平らな面がでてくる。そして平面に太い梁の影が写しだされ、立体の力強い美しさが投影されるのである。そこだけ見ていると、もう立派な完成品である。12月5日の今日、寸時舎の落葉樹もほとんど葉っぱを落としてしまっている。そんな中、いつまでも葉の青かった小楢の木が1本だけ、真中で赤々としている。そしてハゼの木もやっと赤くなってきた。随分と遅い紅葉である。燃えるように赤いので寸時舎と一緒に写真に収めた。
今になって思うのも遅すぎるのだが、もう少し作業の工程を写真に撮っておけばよかったと思う。天秤棒をかついでいるところや、セメントを捏ねているところ。ノコを挽いたり、ノミを使っているところなど、本当に色々な事をしたところを撮っておけばよかったと思う。その時は作業することに追われて、写真を撮ることなど考えつかなかったが、後の祭である。それではということで、内壁の板を張る作業は、一段落ついた時や美しい空間を感じた時には手を休めて、パチパチと撮ってみた。その中の一枚がこの写真である。なかなかの出来映え、小楢の紅葉が美事なのだが、カラーでないのが残念である。
そして12月19日、とうとう板壁を張り終えた。大満足である。今年最後の追い込みは塗り壁への挑戦である。まずはラスボードという畳一枚分の広さの石膏板を、壁にクギで打ち付けるのである。壁の広さに合わせてラスボードをカッターナイフで切ってゆく。思ったより簡単である。今日は12月25日であるが、大部分を張り終えた。これを張ってしまうと、いよいよ中塗りである。どうすればよいのか全然見当がつかない。材料を手に入れる時に、店の人に聞いてみようと思っている。材料の袋に説明書がついているかもしれないし、たぶん大丈夫だろう。このぶんだと、正月休みの間に完成するかもしれない。もうこれで、丸3年小屋作りにどっぷりつかったことになる。土地を手に入れて5年が過ぎた。脇目もふらず、あっという間の山通いの5年間であった。だが、まだまだこれからが山通いの本番である。
1995・1月 完成
正月は2日から山へ行った。土壁を塗るためである。清々しい気持ちと、うまく塗れるかなという緊張感があった。プラスターを1に砂が3の割合で捏ね箱に入れ、あずき色の色粉を少し加え、充分にかき混ぜる。そしてボンドを少し溶いた水を入れて粘りをだした。水の量はどの程度が適量なのか解らないが、モルタルの時より少しやわらかめにした。いよいよ壁に塗りつけてみる。ポトポトと剥がれ落ちて、頭で描いたていたようにはスムーズに進まない。悪戦苦闘である。表面をそろえようとコテで伸ばすと、強く押しすぎて剥がれてしまう。狭いところや、天井と接するところはコテが自由に動かせなくて思うようには塗れない。そうだ、小さいコテだといいかもしれんと思いついたのは、もうほとんど終わろうとする最後の日だった。小さなコテだと実に気持ちよく塗れた。土壁は4日と5日にもやって結局3日間で塗り終えた。5日の日は中川さんに声をかけて最後の壁塗りを楽しんだ。色粉の量や水の量がその時々で違い、白っぽいところや暗いところが出来て、表面もデコボコで実に荒っぽい壁になってしまった。コーヒーを点てて、出来立ての壁を眺めながら、中川さんとゆっくり満足の味を愉しんだ。
そして今は、最後の作業である塗装をしている。壁や梁に色を塗っていく、塗る度に段々と暗くなってきて、古い民家の感じになってしまった。明るい色にしたかったのだが、試し塗りと壁に塗るのとは同じ色でも感じが全く違ったものに見えるので、思い通りの色に塗ることが出来なかった。しかし暗さに難はあるが、出来映えは大いに満足している。あとは南の外壁を塗ってしまうだけなので、1月中には確実に完成するだろう。
丸3年かかってしまった。1年くらいで出来るかなと思って始めたので、やっと出来上がったという感じだ。今は何だかホッとしている。今まで小屋を作ることに夢中になっていて、山を歩きまわることもほとんどなかったので、しばらくはのんびりと山の空気を味わいたいと思っている。